大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)1655号 判決 1966年7月11日
控訴人 山田啓太郎
右訴訟代理人弁護士 日野国雄
同 清水兼次郎
被控訴人 中川千代松
右訴訟代理人弁護士 深田和之
主文
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人に対し金四五万円およびこれに対する昭和三五年六月三〇日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員の支払いをせよ。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は、控訴人において金一五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
一、控訴代理人は、主文第一ないし三項と同旨の判決ならびに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
二、当事者双方の事実上の陳述。
(一) 控訴人の請求の原因。
(1) 訴外タイガービヤー株式会社(以下訴外会社という)は昭和三一年一一月一三日訴外株式会社七福相互銀行伊丹支店(以下訴外銀行という)にあてて、金額四五万円、支払期日欄白地、支払地および振出地ともに伊丹市、支払場所訴外銀行なる約束手形一通(以下本件手形という)を振出交付し、被控訴人および訴外高橋勇吉においてその手形保証をなした。しかして、訴外銀行は右支払期日を昭和三五年六月三〇日と補充したうえ、右手形を控訴人に裏書譲渡し、控訴人は現にその所持人である。
(2) そこで、控訴人は右支払期日に右支払場所に右手形を呈示して支払いを求めたが、これを拒絶せられた。
(3) よって、ここに、控訴人は右手形保証人である被控訴人に対し、右手形金四五万円およびこれに対する右支払期日たる昭和三五年六月三〇日から支払済みに至るまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払いを求める。
(二) 被控訴人の抗弁に対する控訴人の認否ならびに主張。
(1) 被控訴人の抗弁(1)の事実中、控訴人が昭和三一年五月一四日以降昭和三二年三月一六日までの間訴外会社の常務ないしは代表取締役の地位にあったこと、同じく(3)の事実中、訴外会社が訴外銀行に対して金額五〇〇万円、および金額一五〇万円なる二口の手形貸付金債務を負担し、被控訴人がその連帯保証人であったこと、右金五〇〇万円のうち残額二三四万一、〇〇〇円、右金一五〇万円のうち残額四五万円および延滞利息金九、〇〇〇円が未払いであったこと、および本件手形が右金四五万円の支払いのために振り出されたものであることはいずれも認めるが、その余の事実および(2)、(4)の事実はすべて否認する。訴外会社が本件手形を振り出した当時増資の成否は未定の状態にあったのであるから、被控訴人の主張するごとく受取人たる訴外銀行との間に、右約束手形の支払期日欄を訴外会社の増資払込予定日たる昭和三二年三月頃までの日を限って補充すべき旨の合意などなされる筈がない。
なお、本件のように支払期日欄が白地である場合、補充権そのものが時効により消滅するまではいつでも有効に補充できるものというべきところ、かかる白地補充権の消滅時効期間は二〇年と解すべきであるから、控訴人が前記のとおり右支払期日を右時効期間内である昭和三五年六月三〇日と補充したのはもとより正当であるといわなければならない。また、被控訴人主張のビール空瓶一二万本は、訴外会社の従業員らの未払賃料にあてるために、同会社の労働組合代表者によって売却処分されたのであって、その処分代金のうち金四五万円が本件手形の支払いにあてるために訴外銀行に入金された事実は全然ない。
(2) 控訴人が本件手形を取得した経緯は次のとおりである。
すなわち、訴外会社は訴外銀行に対し前記のとおり金額五〇〇万円、および金額一五〇万円なる二口の手形貸付金債務を負担していたところ、控訴人は右金五〇〇万円の債務につき被控訴人らとともにこれが連帯保証をなし、右保証に基づき訴外銀行に対し昭和三三年二月一八日その所有にかかる不動産(土地二筆、建物一棟)を金二〇〇万円の代物弁済として提供し、さらに同年八月までの間に三回にわたり計金六五万九、〇〇〇円を支払い、未払残額二三四万一、〇〇〇円となった。なお、控訴人はこれより先昭和三一年一二月二〇日前記金一五〇万円の債務の前記未払残額四五万円についても訴外会社のために保証をなしたのであるが、昭和三三年一一月一九日訴外銀行との間に、以上の未払残額計金二七九万一、〇〇〇円に前記延滞利息金九、〇〇〇円を加えた合計金二八〇万円につき、控訴人よりこれを毎月金一〇万円あて分割して訴外銀行に支払う旨の合意が成立し、控訴人は右合意に基づき、右合計金額を昭和三五年六月三〇日までの間に完済し、もって本件約束手形を有償取得したものである。
(三) 被控訴人の答弁。
控訴人主張の請求原因(1)の事実中、訴外銀行が支払期日欄を補充したうえ本件手形を控訴人に裏書譲渡したことは争う。右補充は控訴人によってなされたものである。その余の事実、および(2)の事実はすべて認める。
(四) 抗弁。
(1) 本件手形は、訴外会社が訴外銀行に対して負担する後記手形貸付金残額四五万円の支払いのために、控訴人も自認する如く支払期日欄を白地のままで振り出されたものであるところ、右両者間に右手形振出しに際し、右支払期日欄については遅くとも訴外会社の増資払込予定日たる昭和三二年三月頃までの日を限って補充をなすべき旨の合意がなされていたのである。したがって、控訴人がこれを昭和三五年六月三〇日と補充したのは明らかに右合意に反し補充権を濫用したものというべきところ、控訴人は昭和三一年五月一四日から昭和三二年三月一六日までの間訴外会社の常務ないしは代表取締役の地位にあったもので、右補充をなすにつき右合意による制約の存することを知っていたものであり、仮に知らなかったとすれば、その点重大な過失があったものといわなければならない。したがって、右支払期日欄の記載は無効であり、本件手形は手形債権行使に必要な要件を具備していない。
(2) 仮に、右主張が理由がないとしても、訴外会社は昭和三二年二月頃倒産したのであるが、その際前記のとおり訴外会社の代表取締役をしていた控訴人において訴外会社所有にかかるビール空瓶一二万本を代金九〇万円で他に売却処分し、内金四五万円を本件手形の支払にあてるために訴外銀行に入金したのであるから、右手形はこれにより決済を終り訴外会社に返還さるべきものであったといわなければならない。しかるに、控訴人は右事情を知りながら右手形を取得したのであるから、悪意の所持人というべきである。
(3) 仮に、そうでないとしても、訴外会社は訴外銀行に対し、金額五〇〇万円、弁済期昭和三一年一〇月四日、および金額一五〇万円、弁済期同年九月一〇日なる二口の手形貸付金債務を負担し、被控訴人はその連帯保証人であったところ、前者につき残額二三四万一、〇〇〇円、後者につき残額四五万円および延滞利息金九、〇〇〇円、以上合計額金二八〇万円がなお未払いのままであった。ところで、本件手形は右金四五万円の支払いのために振り出されたのであるが、昭和三三年一一月一九日訴外銀行と控訴人らとの間に締結せられた約定に基づき、右金二八〇万円の債務につき債務者を控訴人、連帯保証人を訴外山田啓三郎ほか二名とする一個の準消費貸借にあらためる旨の債務者の交替等による更改が行なわれ、その結果訴外会社の訴外銀行に対する右旧債務、ひいて被控訴人の右連帯保証債務は消滅したからこれに伴い被控訴人の訴外銀行に対する本件手形保証債務も消滅に帰したものといわなければならない。しかるところ、控訴人は右事情を知悉しながら右手形を取得したのであるから、この点からみても悪意の所持人というべきである。
(4) 仮に、前記更改の事実が認められないとしても、控訴人は昭和三三年一一月一九日訴外銀行との間に締結した前記約定に基づき、本件手形の原因債権たる前記手形貸付金残額金四五万円を含む前記残債権金二八〇万円について債務者たる訴外会社のために重畳的に債務の引受をなしたとみるのが相当である。ところで、この場合控訴人は主たる債務者の立場に立つわけであるから、たとえ控訴人が債権者たる訴外銀行に対して右債務を弁済したからといって負担部分を有しない連帯保証人たる被控訴人に対し求償し得べくもない。控訴人はこれを知りながら本件手形を取得したものであって、原因関係を欠く右手形金の請求は許されない。
三、証拠関係。<省略>
理由
一、(一) 訴外会社が昭和三一年一一月一三日訴外銀行にあてて金額四五万円、支払期日欄白地、支払地および振出地ともに伊丹市、支払場所訴外銀行なる本件手形を振出交付したこと、被控訴人および訴外高橋勇吉がその手形保証をなしたこと、および右支払期日欄が昭和三五年六月三〇日と補充されていることは当事者間に争いがない。
(二) しかして支払期日欄、および裏書部分を除くその余の部分については成立に争いがなく、右裏書部分等については当審証人柏井英一の証言、原審での控訴本人の尋問の結果および弁論の全趣旨によって真正に成立したと認め得る甲第一号証、右柏井証人の証言によって真正に成立したと認め得る同第四号証、同証言、原審ならびに当審での控訴本人の尋問の結果を総合すると、訴外銀行は控訴人に対し、昭和三三年一一月一九日後記債務更改契約を締結するに際し右手形を支払期日欄白地のまま裏書譲渡し、控訴人は現に右手形の所持人であること、および控訴人において右支払期日欄を前記日付(更改債務完済の日)のとおり補充したものであることをそれぞれ認めることができる。右認定を左右し得る証拠はない。
(三) 次に、控訴人が右手形を右支払期日に右支払場所に呈示して支払いを求めたが、これを拒絶せられたことは当事者間に争いがない。
二、そこで、被控訴人の抗弁について以下順次判断する。
(一) 被控訴人の抗弁(1)について。
被控訴人は、本件手形については、白地たる支払期日欄を遅くとも昭和三二年三月頃までの日を限って補充すべき旨の合意があったのであるから、控訴人がこれを昭和三五年六月三〇日と補充したのは明らかに右合意に反し補充権を濫用したものというべきところ、控訴人は右濫用について悪意ないしは重過失があったのであるから、本件手形は支払期日の補充がないものとして、手形債権行使の要件を欠くと主張する。
なるほど、控訴人が右手形の支払期日欄を昭和三五年六月三〇日と補充したことは前説示のとおりであるが、原審ならびに当審での被控訴本人の尋問の結果によってはいまだ右合意の存在を認めることができず、ほかにこれを認め得る的確な証拠がない。そうすると、控訴人が右補充をなしたからといって、他に特段の事情の存しない限りそれが補充権の濫用に該当すると速断できる筋合いでないことはもちろんである。したがって、被控訴人の右主張はその余の判断をなすまでもなく失当というべきである。
(二) 同じく抗弁(2)について。
被控訴人は、訴外会社所有にかかるビール空瓶一二万本の売却代金九〇万円の内金四五万円が訴外銀行に入金せられ、これにより本件手形の決済を終ったものであるところ控訴人は右事実を知りながら右手形を取得したのであるから悪意の所持人である旨主張する。
なるほど、成立に争いのない乙第三号証、原審ならびに当審での被控訴本人の尋問の結果によって真正に成立したと認め得る同第四号証、原審ならびに当審での控訴本人および被控訴本人の各尋問の結果によると、訴外会社は後記のとおり訴外銀行に対し金額合計六五〇万円の手形貸付金債務を負担していたところ訴外銀行は昭和三一年一一月一〇日右債権に基づき訴外会社所有の工場機械等につき仮差押執行をなしたが、右仮差押物件中にタイガービール五〇〇〇箱(一箱二四本瓶詰入)が含まれていたこと、ところが、右ビールの中身がすでに腐敗していたので、当時訴外会社の代表取締役をしていた控訴人は訴外銀行の了解を得て右ビールの中身を廃棄し、その空瓶一二万本を代金九〇万円で売却処分したこと、もっとも右ビール五〇〇〇箱については訴外平野町倉庫株式会社も差押執行中であったところから訴外会社は同会社に金四五万円を支払って右差押執行を解放してもらったことをそれぞれ認めることができる。しかしながら、右売却代金九〇万円のうち金四五万円が訴外銀行に入金され本件手形の決済にあてられた旨の右主張に合う原審ならびに当審での被控訴本人の供述部分は成立に争いのない甲第五号証当審証人柏井英一の証言によって真正に成立したと認め得る甲第四号証、同証言、原審ならびに当審での控訴本人の尋問の結果と対比してにわかに信用し難く、ほかにこれを認め得る的確な証拠がない。そうすると、被控訴人の前記主張はその前提においてすでに失当であるといわなければならない。
したがって、前記抗弁(2)も採るを得ない。
(三) 同じく抗弁(3)(4)について。
被控訴人は、本件手形振出の原因債務たる訴外会社の訴外銀行に対する手形貸付債務は更改により消滅したところ、控訴人は右事実を知りながら本件手形を取得した悪意の所持人であるから、右訴外会社の有する人的抗弁を援用する旨主張する。
そこで考えてみるのに、訴外会社が訴外銀行に対して金額五〇〇万円、および金額一五〇万円なる二口の手形貸付金債務を負担し、被控訴人がその連帯保証人であったこと、右金五〇〇万円の債務残額二三四万一、〇〇〇円、右金一五〇万円の債務残額四五万円および延滞利息金九、〇〇〇円が未払いであったこと、および本件手形が右金四五万円の支払いのために振り出されたものであることはいずれも当事者間に争いがない。しかして、前記甲第四号証、成立に争いのない甲第二号証、当審証人柏井英一の証言、および原審ならびに当審での控訴本人の尋問の結果によると、控訴人は前記のとおり訴外会社の常務ないし代表取締役であったところ、訴外会社が訴外銀行に対して負担する一切の債務担保のために、自己所有の不動産につき代物弁済予約をなすとともに根抵当権を設定していたほか、右各債務のうち右金五〇〇万円の分につき被控訴人らとともに連帯保証をなしたものであること、控訴人は右連帯保証に基づき訴外銀行に対し計金二六五万九、〇〇〇円を弁済し、前記のとおり残額二三四万一、〇〇〇円となったこと、控訴人は昭和三三年一一月一九日訴外銀行との間に、右金二三四万一、〇〇〇円および前記未払残額四五万円、延滞利息金九、〇〇〇円以上合計額金二八〇万円につき、新たに控訴人を債務者とし、かつ、右金額を毎月金一〇万円宛分割支払う旨の債務者の交替を骨子とする更改契約を結び、訴外山田啓三郎ほか二名において控訴人の右債務につき連帯保証人となったこと、控訴人は右契約締結の際訴外銀行から前記のとおり本件手形の裏書譲渡を受けたこと、および控訴人はその後昭和三五年六月三〇日までの間に右債務を全部完済したことをそれぞれ認めることができる。
以上の事実によると、訴外会社が本件手形振出の原因として訴外銀行に対して負担する前記手形貸付金債務は、右更改により消滅したものといわなければならない。しかしながら、このことから直ちに、本件手形債務ひいて本件手形保証債務が当然に消滅するいわれはなく控訴人が前記のとおり訴外銀行から本件手形の裏書譲渡を受けた以上、右手形上の権利を取得したものであることは勿論であって、右手形の保証人たる被控訴人において右原因債務の消滅というほんらい主たる債務者(振出人)たる訴外会社に属する人的抗弁を援用して自己の保証債務の履行を拒むことは、手形法三二条所定の手形行為独立の原則に照らして許されないというべきである(最判、昭和三〇、九、二二参照)。もっとも、手形保証の独立性を前提として、手形保証人が主たる債務者の有する、原因債務消滅の人的抗弁を援用することができないとすることについては異説がないわけではない。しかし、本件は主債務者たる訴外会社の手形貸付債務を消滅せしめたものは、手形所持人たる控訴人であり、その負担ないしは出捐に基づくのであって、控訴人は訴外会社に対し、委任、事務管理ないしは不当利得に基づく償還請求権を有するのであるから、控訴人の手形保証人たる被控訴人に対する手形金の請求を認めたからといって、右原因債務消滅のために、被控訴人の訴外会社に対する求償権、訴外会社の訴外銀行に対する不当利得返還請求権が順次行使されて、控訴人が、右訴外銀行に対し不当利得返還義務を負い、そのため控訴人の右手形金の支払請求を無意味ならしめる結果になるというわけではないのであるから、右異説のように手形保証の独立性を制限しなければならない必要性は、本件にはないものといわなければならない。しかのみならず、本件手形が右原因債務担保のためのものであり、控訴人の訴外会社に対する前記償還請求権が、経済上原因債権に代るものであってみれば、右償還請求権のために、本件手形の利用を許し、原因債務消滅の人的抗弁を認めない方が実質的に妥当であると考えられる。そうであるから、結局被控訴人の主張は失当であるといわなければならない。
したがって前記抗弁(3)は採用できないし、また抗弁(4)は右認定の更改の事実が認められない場合の予備的抗弁であること、主張自体に照して明らかであるから、更改の事実が認められる以上、もはや判断の要をみないこというまでもない。
三、以上の次第であって、被控訴人の抗弁はすべて理由がないから、被控訴人は控訴人に対し本件約束手形金四五万円およびこれに対する前記支払期日たる昭和三五年六月三〇日から支払済みに至るまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払義務を負うものというべきである。したがって、被控訴人に対し右義務の履行を求める控訴人の本訴請求は正当として認容すべきであるから、これを棄却した原判決は失当であって取消しを免れない。<省略>